悪魔の策略に対抗して立つ教会とキリスト者


村瀬俊夫(むらせ としお)/日本福音同盟社会委員会顧問


「最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。・・・・・・平和の福音を告げる準備を履物としなさい」(新約聖書・エフェソ6:10−11,13)。

 この聖句は、言うまでもなく、キリスト教会とキリスト者への勧めであり、主の御心に適う歩みができるように、なお暗闇の支配者が幅を利かせている世界での邪悪な日々に立ち向かい、勝利を得る道を示しています。主の偉大な力によって強くなるため身に着けるべき神の武具の一つ、いや最も大切なものは「平和の福音を告げる準備を賜物とする」ことです。

 現代日本において「平和の福音を告げる準備」として最たるものは、比類なき前文と第9条を有する日本国憲法ではないでしょうか。この平和憲法をしっかり身に着けて私たち教会とキリスト者が行動することは勿論ですが、この平和憲法を尊重し擁護する政治と外交を展開するように政府に求めるだけでなく、それを命じていく責務が私たち[キリスト者を含めた]国民にあるのです。日本国憲法は、第99条で尊重・擁護の義務を為政者に課しているように、政府に対する命令に他なりません。
 しかし、これまで日本の政府は、平和憲法を尊重・擁護する政治や外交を積極的に展開してきたとは言えません。むしろ、「悪魔の策略」に操られるかのように、それに逆行するような動きを[日米同盟との関係で]かなり露骨に示してきたのです。その矛盾に満ちた苦渋と屈辱を最大限に味わわされてきたのが沖縄の人々である、と言ってもよいでしょう。本土の日本人は、沖縄の人々に過重の負担を負わせることで、その苦渋と屈辱をそれほど身近に感じることがなかっただけであるということも、しっかり心に刻まなければなりません。その苦渋と屈辱の要因は、日本国憲法よりも大切なものであるかのように振る舞っている日米安保条約第6条に基づく「日米地位協定」なのです。

 サンフランシスコ平和条約の締結によって日本が1952年4月28日に主権を回復し、米軍の占領が終わっても、それまでと変わらず米軍の駐留する基地が日本の各地に[特に沖縄に集中して]完全な治外法権地帯として存在しているのは、この「悪魔の策略」としか思えない「日米地位協定」によっています。このような事態の重みを、平和憲法を熱心に尊重・擁護しようとする者たちが、どれだけ矛盾に満ちた苦渋と屈辱として味わい、深く受け止めて来たことでしょうか。
 この矛盾に満ちた苦渋と屈辱を味わわされたままでは、平和憲法の光を輝かすことはできません。今こそ「平和の福音を告げる準備を履物とする」教会とキリスト者に強く求められているのは、この悪魔の策略にも等しい「日米地位協定」という現実に対抗して立つことです。そうしなければ、脱原発の実現もおぼつかないでしょう。

(むらせ としお)






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