「平和への道をわきまえる」


日本キリスト改革派教会「宣教と社会問題」委員会委員長 千里山教会牧師
弓矢健児(ゆみや けんじ)



「エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。『もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら・・・。しかし、今は、それがお前には見えない』」 
                                                        (ルカ19:41,42)

 エルサレムの町に近づかれたイエスは、まもなくエルサレムの町が戦争によって破壊され、見るも無残な状況になり、人々が大量に殺されるという現実を預言されました。そして、エルサレムの人々を襲う戦争の悲劇に涙され、「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら・・・。」とおっしゃったのです。
 当時のユダヤではローマ帝国の支配に武力で抵抗し、戦争しようとする過激な民族主義勢力(熱心党)が、国民の間に勢力を伸ばしていました。彼らは、イスラエルは神の国であり、信仰を持って戦えばローマ帝国に勝利できると考え、国民を扇動していたのです。戦前日本の国が、日本は神の国だから神風が吹いて戦争に必ず勝つと言って、あの無謀な戦争に突き進んだのとよく似ています。つまり、ユダヤの指導者たちも、日本の指導者たちも平和への道をわきまえず、戦争への道を歩んだのです。その結果、言葉では言い尽くせないぐらいの悲劇がもたらされました。
 何年か前ですが、8月15日前後の二日間に渡って、「はだしのゲン」のドラマが放映されました。そのドラマの中で、ゲンのお父さんは戦争に反対だと言ったばかりに、非国民と呼ばれ、警察に捕まりひどい拷問を受けました。しかし、もしあの時代、ゲンのお父さんのように戦争は良くない、戦争に反対だ、と勇気を持って言うことのできる人がもっとたくさんいたら、また、平和への道をわきまえた政治家がいて、もっと早く正しい判断をしていたら、ひょっとしたら原爆投下という最悪の悲劇は回避できたのではないか?・・ついそう思ってしまいます。しかし、歴史に「もし」はありません。現実には政治家も、国民の多くも平和への道をわきまえていませんでした。そして本来ならば、一番そのことをわきまえて、戦争に反対すべき教会さえもが、平和への道をわきまえず、戦争に協力するという最悪の罪を犯しました。
 イエスはこの悲劇を悲しみ、涙しておられます。しかし、イエスは同時に、わたしたちが二度とそのような悲劇を繰り返すことがないよう、平和への道をわきまえて歩むよう求めておられます。イエスご自身が、そのために最後まで平和への道を歩んでくださいました。
 憲法を改悪し、再び日本を戦争の道へと導こうとする悪しき力が強くなっている昨今の日本です。今まで以上に、教会とキリスト者は、平和への道をわきまえ、発言し行動することが求められています。 
                                                    (ゆみや けんじ)





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