沖縄「復帰」40年と3・11と天皇制


キリスト者政治連盟常任委員 
荒井克浩(あらい かつひろ)



 「神武天皇が、まだ国のうちの西のほうに、おいでになったころ、東のはしに、わるものどもが、おほぜい、をりました。神武天皇は、このわるものどもをせめておいでになって、とーとー、まかしておしまいになりました」(明治37年度(1904年)尋常小学校読本巻四、「紀元節」より引用)

 この尋常小学校生向けの記紀神話の「神武東征」に関する文書には、天皇軍が「わるものども」を征伐する動機が記されていません。また未知の人々を勝手に『わるもの』と呼び、そのことについてなんらの<疑い>をさしはさまずに、なんらの<ためらい>も示さず、さらにそのことになんらの<反省>も伴なっておりません。
 <疑わない・ためらわない・反省しない>――これが『神武東征』から『大東亜戦争』にいたる日本王権デスポティズム(Despotism:専制、独裁(支配)、暴政)の中核構造です(戸村政博「大嘗祭と天皇制」参照)。
 そしてこの姿勢は、沖縄に対しても歴史的に向けられてきました。天皇主権の明治政府の下、独立国であった琉球を強制的に日本に組み込み(1872〜1879年琉球処分)、アジア太平洋戦争の終わりには、天皇は「モウ一度戦果ヲ挙ゲテカラデナイト中々話ハ難シイト思フ」と言い、その言葉は三か月に及ぶ日米最後の地獄の如き沖縄県民を巻き込んでの地上戦闘に至らせました。そして戦後1947年9月に天皇は自らの戦争責任からの保身と天皇制護持のため、米国に向けて米国の沖縄『軍事占領を肯定するメッセージを出し(「天皇メッセージ」)、それは日米安保条約という軍事同盟の完全なる下支えとなりました。
 そして去る15日の沖縄「復帰」40年にあたっては、そうした歴史に組み込まれ踏み潰されてきた沖縄の方々の痛みをますます覚えます。
 とくに3・11以降、日本は、これまでの歩みにあるこうした劣悪なる思想を真剣に転換すべき時点に来ていると思います。原発廃止の問題は根本的思想の転換という深い課題の問題です。
 3・11以降「原子力の平和利用」ということが批判的に語られていますが、私どもはそれをも含む日本の病巣として、近代史においての「天皇・天皇制の平和利用」、つまり暴力性を内在させている「偽りの平和」を明らかにしたいと思います。
 私どもキリスト者は、かつての昭和天皇の死去とその後の代替わりの時期に、私どもの信仰をかけて「NCCと大嘗祭問題署名センター」を立ち上げ、天皇制と根本的に対峙しましたが、その運営委員長が当時のキ政連の大島孝一委員長でした。またこのたび坂内宗男常任委員がNCC靖国神社問題委員会の委員長に着任することが内定しました。
 キ政連は今年度、新しい常任委員も加わり新たなる展開が期待されます。今後ともこの国が根本から主の栄光を現す器となりますように。平和憲法を護る国となりますよう、祈りつつ力を合わせ前進させていただきたく願っています。





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