もはや戦うことを学ばず、主の光の中を歩もう


キリスト者平和ネット事務局副代表
村瀬俊夫(むらせ としお)


 「平和を実現するキリスト者ネット」が誕生して活動を開始したのは、1999年の秋である。それは憲法政治が蹂躙されて「国旗・国歌法」など(平和憲法改悪を射程に入れた)悪法が次々と国会で成立し、戦後最悪と言ってもよい危機的状況に遭遇していた時期である。それから12年余りを経、憲法改悪を意図する政・財・官の動きは、ついに衆参両院に憲法審査会を設置して始動させるに至り、危機的状況はいっそう深刻の度を増している。それに本年は3・11の東日本大震災、それに連動した福島第一原発の重大事故を受けて、66年前の敗戦に匹敵すると言ってもよいほど未曾有うの国難に直面する中で、クリスマスを迎えようとしている。
 イエス・キリストの降誕は、旧約聖書の預言の成就である。旧約聖書の背景にあるイスラエルの民の波乱に富む歴史の中で、イスラエルだけでなく、イスラエルを通して世界の全ての氏族・民族に及ぼされる救いの計画が明らかにされ、その達成への道筋も示されてきた。救いの計画は、平和の実現と深い関わりがある。その「平和」を脅かすものとして第一に考えられるのは「戦争」である。日本の憲法が「平和憲法」と呼ばれるのは、戦争の放棄と軍備及び交戦権の否認を表明しているからである。その平和憲法と深い関わりのあることとして、神の御子イエス・キリストが戦争を終わらせ、平和を実現するために世に来られたのである。
 旧約聖書の初めに、神による天地創造のことが記されている(創世記1章)。混沌と闇の只中で、神が「光あれ!」と言われると「光」が存在し、混沌の中に秩序が生まれていく。闇と混乱とは、そのまま人間の心の深いところの状態であり、それから戦争が生じる。そこに光が望むことによって平和がもたらされる。そう考えると、[究極の]平和への道が創世記の初めから示されていることが分かる。この究極の平和への道は、人間の知恵や努力で、まして武力などによって達成されるものではない。時が満ちて、「光あれ!」と言われる神の御手が働くとき、どんなに深い闇にも光が差し込み、闇を消し去って秩序が生まれ、ついに[神による]平和が実現する。
 その時が満ち、神が「光あれ!」と言って、[暗闇が支配する]世に「まことの光」である御子イエスを降誕させた出来事が、まさにクリスマスである(ヨハネ1:1−18参照)。そのイエスが言われる言葉を聴こう。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩まず、命の光を持つ」(ヨハネ8:12)。「まことの光」は人間の心の深いところにある暗闇を隈なく照らし、その暗闇を完全に消し去ってくれる。イエスに従う者たちは、[再生の恵みにあずかって]心の深いところに「命の光」を持つようになる。この「命の光」は、「罪と死を克服した」「永遠の命」であるとともに、「わたしの平和を与える」とイエスが言われた「平和」にほかならない。
 旧約の代表的預言者は、戦乱の絶えぬ[紀元前8世紀末の]国際情勢の中で、終わりの日に実現する「平和」を預言した。「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家(イスラエル)よ、主の光の中を歩もう」と(イザヤ2:1−5参照)。クリスマスは、紛れもなく、この預言の成就が始まりである。同じ指導者がヒゼキヤ王の誕生と即位に寄せて語ったと思われる以下の預言も、イエス・キリストの誕生と[復活・昇天による]即位においての真の成就を見ることができる。「闇の中にする民は、大いなる光を見、死に陰の地に住む者の上に、光が輝いた。・・・・・・ひとりのみどりごが私たちのために生まれた。ひとりの男の子が私たちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる」(イザヤ9:1,5)。
 「平和の君」と唱えられるイエス・キリストは、十字架の死を前にして[死に勝利する復活の主として]弟子たちに言われた。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを世が与えるように与えるのではない」(ヨハネ14:17)と。山上の説教では、「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)と告げておられる。私たちが「平和を実現する人々」とされるのは、「まことの光」また「平和の君」であるイエスによって「命の光」と「イエスの平和」を持つようにされたからである。
 私たちが「平和を実現するキリスト者」として忘れてならないこと、第一に心すべきことは、「もはや戦うことを学ばず、主の光の中を歩もう」ということである。現在が深刻な危機的状況であればあるほど、武力によらない愛と平和の道を貫き通された主イエスの光の中を歩むことで「平和憲法」を活かし、これを世界に広めるために尽力しようではないか。戦争を終わらせる道は、原発を終わらせる道にも通じる。主の光の中を歩むなら、戦争の廃絶を訴えるように原発の廃絶も訴えるのは、当然のことである。




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