命・つながり・生きる


日本基督教団議長・越谷教会牧師
石橋 秀雄(いしばし ひでお)


 3月11日2時46分に発生した大災害は、2万にのぼる人の命を飲み込みました。一つの命にどれほどの命のつながりがあったでしょうか。そのつながりが断ち切られました。二次災害としての東京電力福島第一原発の事故では、放射能汚染によって村や町に人が住めなくなり、人のつながりが断ち切られた痛みの中に多くの人が苦しんでいます。
 3月14日(月)、東日本大震災の凄まじい破壊の只中に立ちました。関係するところに援助物資を届けて回った帰りに、一人の青年を石巻から仙台に送りました。石巻から仙台まで行くすべがありません。電話も通じません。電気も水もガスも断たれています。彼は女川原発に資材を届ける会社の社員で仕事の帰りに津波に巻き込まれました。車を捨て塀に登り、さらに屋根へ、目の前で家が流されて行きます。幸い彼が飛び移った屋根はさらに高い屋根につながり、一晩、雪の降る中、屋根が凍る中、乾いているのはネクタイだけ、そのネクタイを首に巻いて、寒さと恐怖に耐えました。夜が明け、助けを求める叫び声に気づいた人々に助けられ、服をもらい、食べ物をもらいながら6時間歩いて石巻に来ました。車の中で携帯に充実させて欲しいということで充電中、電波が通じる地域に入った途端、携帯が反応、その青年が「ウワーこんなメールが」と言ったところで電話が入りました。彼の会社の女子社員からで、最初の一言が聞こえました。「何やっているのよー」との怒鳴り声。金曜日から4日間連絡が取れず、どれほど心配していたかがこの怒鳴り声に表されていた。青年は泣きながら「皆に助けられて今生きているんだよ」、との言葉を繰り返しました。最初の言葉が恐怖の言葉ではなく、「皆に助けられた」という喜びの体験でした。「つながり」が力であり、つながりがあることが絶望を克服して生きる力であることが示されています。
「命・つながり・生きる」。命はつながりの中で保つことができます。人体は60兆個の細胞のつながりの中で命を得て、生きる事ができています。
 つながりが断ち切られてしまったら、命を持って生きることはできません。命が第一に来てつながりが大切にされて生きる社会であることが求められています。しかし、命よりも経済が最優先されるとしたら、それはつながりが断ち切られ命あるものが生きることが出来ない社会になってしまいます。
 命が最優先されるところでは、つながりが重視されます。この命が最初ではなく経済が最初に来る社会は、つながりを破壊し平和を脅かします。原発事故はその象徴だと思います。今、戦後最大の危機の中で、命ではなく経済が再び第一にされる復興が目指されているのでしょうか。今、この危機の中で、その危機を克服する力を見つめたいと思います。




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