「キリストの誕生の一日から祈る」


カトリックさいたま教区司教・日本カトリック正義と平和協議会会長
谷 大二(たに だいじ)


 キリストの誕生、その一日はどのようなものだったのでしょうか?
マタイ福音書によると、ベツレヘムという町の小さな家で(2:11)キリストは生まれました。夜になって、三人の博士たちがやってきます。博士たちは星に導かれて救い主キリストを探しに来たのです。博士たちは幼子イエス、母マリア、父ヨセフを探しあて、礼拝しました。ところがこの博士たちの訪問が大問題を引き起こすことになってしまったのです。
三人の博士たちはエルサレムの町で「ユダヤの王様はどこで生まれましたか?」と聞いてまわりました。そのことはユダヤの王、ヘロデの聞き及ぶこととなりました。ヘロデは自分の王としての身分に危機感を持ち、博士たちを呼んで情報を得ようとしました。ヘロデは自分の王である地位が危なくなる前に幼子を殺そうと計画していたのです。
主の天使のお告げによってそれを知ったヨセフは、その家に留まっていることは危険だと判断しました。大切な子どもを守らなくてはなりません。その日の夜遅く(マタイ2:14)、難を避けるために町を脱出することになりました。ヨセフは生まれたばかりのキリストを抱き、マリアをロバに乗せ、エジプトに向かいました。生まれたばかりのキリストはもちろん、産後間もないマリアにとっても、真夜中の脱出劇は命がけでした。
キリスト誕生の一日はこんなあわただしい一日であったと聖書は描いています。主の降誕は喜ばしいことです。しかし、聖家族、ヨセフ、マリア、キリストにとっては、喜びもつかの間、難民としての過酷な生活の始まりの日でもあったのです。
皆さんのなかには、この聖家族に似た経験を持つ人もいることでしょう。今も戦火や迫害を逃れて難民となっている人々は4300万人ともいわれています。日本にも多くの難民が来ています。けれども難民鎖国と言われている日本の政府は、難民をなかなか受け入れようとはしません。

話は変わりますが、2010年は「韓国併合100年」にあたる年でした。日本は1895年から台湾を、1910年からは朝鮮半島を、1932年から満州国を設立するなど、1945年までの間、アジア諸国を侵略し、植民地化してきました。その間、武力による侵略と同化政策を基軸とした植民地政策によって、人々の命、生活、文化の独自性を破壊し、多大な苦しみを与えてきました。
日本の植民地政策は同化政策、具体的には皇民化政策を柱として行われました。皇民化政策は、植民地化した国の民衆を「帝国臣民」とし、「創氏改名」「皇国臣民ノ誓詞斉唱」「日の丸掲揚」「日本語教育」などによって、文化、民族性を否定するものでした。さらに植民地化した国の津々浦々に神社を建立させ、神社参拝を強要しました。学校を布教の場として、教育勅語という経典を斉唱させたのです。皇民化政策とは天皇を頂点とする国家神道という宗教を、日本のみならず植民地にも徹底させることでもありました。私たちはキリスト者として、また、宗教者としてこの点を見逃してはなりません。
また強制連行などによって、家族と離ればなれにされ、鉱山や河川工事などの過酷な労働に従事させられ、戦争の最前線に駆り出された人々、また、いわゆる従軍慰安婦として強制的に性的搾取された人々のことを思い起こさざるをえません。
しかし、植民地にしたのは台湾や朝鮮半島だけではありません。北海道、沖縄もやはり植民地支配したところだったのです。それは今も続いています。
1869年、明治政府は「アイヌ・モシリ(人間の大地)」を「北海道」と改称し、開拓使を設置し、植民地化しました。同化政策によって、アイヌ民族は言葉や文化ばかりではなく、生活の手段すら奪われてきたのです。いまなお、差別に苦しむ人々がいます。少数民族としての復権まで、まだまだ険しい道のりが続いています。
また、1979年のいわゆる「琉球処分」によって琉球を沖縄県とし、植民地化しました。1945年、敗戦によって沖縄は米国の植民地となりました。1972年の本土復帰によって再び日本の領土となりましたが、アメリカによる軍事植民地ともいわれる状況がいまだに続いています。基地問題、辺野古の問題で沖縄住民は今も苦しみ、叫び続けています。

クリスマスの夜、私たちは{メリークリスマス}とあいさつを交わし、主の降誕の喜びを共にします。神が私たちのところに来てくださったのですから、それは喜ばしいことなのです。ただ、このクリスマスの夜、その日のうちに難民となってエジプトに向けて出発した聖家族のことを思い起こし、祈りたいと思います。聖家族の難民としての視点、視座は、祖国を離れて生活している難民たち、日本の植民地支配のもとで苦しめられた人々、今なお苦しんでいる人々に通じます。彼ら彼女らと連帯して活動していくことを、あらためて私たちに決意させてくれるでしょう。




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