「平和の代価と感謝」

日本バプテスト同盟 総主事 
丹野 真人(たんの まこと)

 「恵み深い主に感謝せよ
 慈しみはとこしえに」と。    詩編107編1節

 今年は韓国併合から数えて100年の年となる。新しい年の初めに当たり、昨年巡り合った『わが父、孫良源(ソン・ヤンウォン)』(孫東姫著 いのちのことば社)という本を紹介したい。
 孫良源は、ハンセン病の療養施設の中の教会で牧師として働き、日本の占領下の時代に神社参拝を拒否したために投獄され、激しい拷問にあっても純粋な信仰を持ち続け、戦後は共産軍に捕らえられ1950年に48歳の若さで殉教した、韓国では聖人のように慕われている牧師である。
 孫良源牧師が遣わされたのは、釜山からバスで三時間半あまり走ったところにある順天の近く、ハンセン病で隔離された人々の村にある聖山教会という教会だった。教会に赴任して間もなく、孫牧師は神社参拝に反対して投獄され、5年間にわたる非常に厳しい投獄生活の後、1945年8月15日の祖国解放により釈放されて再び愛養園教会へと戻った。しかし、1948年10月に起こった麗水反乱事件という共産党系の勢力による軍事反乱事件によって、愛する二人の息子が反乱者たちによって捕らえられ惨殺されてしまった。息子たちはわずかに25歳と19歳であった。二人の息子はキリスト教を信じるアメリカ寄りの思想を持つということで、共産党に転向しなければ命を奪うといい殴打し続ける学生や反乱軍たちに向い、最後まで神の愛を説き、それでも転向しなければ銃殺するという脅しの前でも、神のみ前に賛美の歌を捧げて、銃撃を受けて死んでいった。
 一週間ほどで反乱が治まり、その犯人は捕らえられた。そしてその内の一人、二人の息子を殴打して、銃で殺害した主犯格の者が死刑になるとのことを聞いたとき、孫牧師は何と愛するわが子を殺害した犯人の救出を願い出た。そればかりか、その後犯人を自分の養子とすると言い出したのであった。
 二人の息子の埋葬式の時に、孫牧師は次のように語った。
 私のような罪人の家系に、殉教の息子たちが生まれるようにして下さった神に感謝します。一人の息子の殉教でも尊いものですが、さらに二人の息子が殉教するとはどんなに尊いことでしょう。この恵みを神に感謝します。イエスを信じながら死ぬことも大きな祝福ですが、さらに伝道しながら銃殺され殉教したことはどんなに大きな祝福でしょうか。神に感謝します。私の愛する二人の息子を射殺した敵を悔い改めさせ、私の養子として受け入れる愛の心を与えて下さった神に感謝します。
 孫牧師の言葉から、感謝とは感情ではなく、信仰の言葉であることが強く胸を打って伝わってくる。
 平和には代価が伴う。一年の初めの時、平和のために自ら進んで命を捧げた殉教者の生涯に目を留めたい。そして、その殉教者の先頭に、平和の主であるキリストがおられることを思いつつ、この年の一日一日を歩むものでありたいと願う。




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