平和をつくり出す人たち
  −キリスト者平和ネット10年の歩みを覚えつつ−

日本キリスト教協議会総幹事 
飯島 信(いいじま まこと)

 1968年、国際基督教大学(ICU)に入学した私は、新約学を教えていた神田盾夫先生が主催していた学内聖書学研究会に出席していました。その思い出として、ある日の出来事が今なお私の心に深く残っているのです。それは、マタイによる福音書5章8節・9節の学びの時のことでした。先生は、パイプを燻(くゆ)らせながら、わずか2節を2時間の時間いっぱいをかけて私たちに解き明かして下さいました。
8:心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
9:平和をつくり出す人たちはさいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
 8節を語る先生の言葉で、今なお脳裡に刻まれている言葉があります。それは、「どんなに人生に敗れ、たとえ泥沼の淵に陥っているような現実であっても、人間には、必ず、夜空の星を見上げた時に美しいと思う心はあるのだ」と。そして、続く9節では「平和を愛する人は数多くいる。しかし、平和をつくり出す人はいかに少ないことか」と。私は、これらの先生の言葉を忘れることが出来ず、公立中学校教員としての31年間を生き、今、NCCの務めに就いています。
 平和を実現するキリスト者ネットの活動が10年、この「ニュースレター」も100号を迎えました。毎月1回NCCの事務所で持たれる事務局会には、小さな会議室があふれるほど、プロテスタント・カトリック・無教会のキリスト者たちが集まって会議をしています。そこでは、文字通り、NCCが課題とするエキュメニカル(教会一致)の協働の業が事実として成し遂げられています。そしてその働きは、絶対非戦の思想を土台として展開されてきました。日本が64年間、世界ではほとんど例外的に経験することなく歩んでこられた事実に、憲法9条の日本社会に与えた影響の計りしれないほどの重さを感じるのです。そして、平和の大切さを常に日本社会に発信し続け、平和を打ち砕こうとするいかなる小さな動きも見逃すことなく対峙していくことが、平和ネットの変わらぬ使命なのです。その歩みは、主イエス・キリストに従う者として自らの信仰を告白する歩みでもあるのです。
 旧来の自民党に替わって、新しく民主・社民・国民新党による連立政権が誕生し、海を隔てたアメリカでは核廃絶を唱えるオバマ大統領が登場しています。これらの新しい動きを創り出したのは、他の誰でもないそれぞれの国の人々です。私たちは又、これらの草の根の人々に向かって、弛(たゆ)まずに声を出し続け、共に平和をつくり出す戦いへと立ち上がることを呼びかけます。焦ることなく、休むことなく、お互いに平和の道具として神様に用いられることを祈りつつ、さらに前に進もうではありませんか。




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